栗田智仁のさくらんぼの話
はい!栗田智仁です。
ただし、イギリスで青銅器時代のサクランボの種が発掘されていることから、19世紀のスイスの植物学者アルフォンス・ド・カンドル (en) は、ルクッルスがコーカサスから持ち帰ったのは、セイヨウミザクラの一栽培品種だったとの仮説を述べている。
この二品種は黒海沿岸からヨーロッパ諸国へ伝わり、特にイギリス・フランス・ドイツで普及した。名称がノルマン人によってシェリーズ(cherise)となり、イングランドに渡ってシェリー(chery)となり、英語のcherryになったといわれている。16世紀ごろから本格的に栽培されるようになり、17世紀にはアメリカ大陸に伝えられた。
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